2008年06月09日

東京秋葉原無差別殺傷事件

昨日、東京秋葉原で無差別殺傷事件があった。
残念な事に7名もの尊い命が犠牲になり、さらに命こそ助かったものの理由もなく負傷した犠牲者の心痛を思うと、震えるほどの怒りしか湧いてこない。
今さら犯人はどんな気持ちで犯行に及んだのだろうと、考えるのすら胸くそが悪くなってくる。

無差別殺人事件と言えば、大阪池田小学校で「宅間守」が8人もの若い命を奪った事件が思い出されるだろう。
残念な事に、それ以降も無差別殺人は絶え間なく続き、犠牲者の数は増えるばかりである。

怨恨、物取り、等の理由であればよいと言うわけではないが、自分と全く関係ない人間を殺傷する事で自分の持つ不満から逃れようとする発想は、いったいどのように生まれ出たのであろうか。


彼の犯人「加藤智大」も小中学生の頃から特異な言動が見受けられたと聞く。
今まで、無差別殺人を犯してきた犯人にもその様な傾向があったと聞く。

残念な事に、戦後の個人主義が蔓延した社会と家庭では、自分の持つ様々な不満の解消を、個人でしか処理出来ないシステムになっている。
地域社会でも学校でも、個人の生活に干渉する事は「プライバシーの侵害」「人権の侵害」と言った戯言で排除されてきた。

現代の日本人は、『自分さえ善ければ他人はどうなっても良い』と言った価値観によって支配されているのだ。
大阪の橋下知事を支持している連中のように、自分の懐が痛まなかったら他人はどうなっても良いし、長期の展望を考えるための学習も努力もしない連中が大半を占めている。

また
「自分はオンリーワンであって、それを認めないのは社会の所為だ」
「自分の能力(ほとんどの人はありもしないのだが)を認めないのは、社会が悪いのだ」
と言った風潮が、今回の犯人の心の奥底を支配していたに違いない。

戦後民主主義の『個人の尊重』が曲解されねじ曲げられたのは、弁護士や日教組を初めとする、硬直した思考の持ち主の責に負う事が多い。

人間は猫科の動物と違い、集団でしか存続出来ない。
多種多様な人と接触し様々なストレスを受ける事により、時分自身の社会での存在価値を認識する事で生きていけるのではないか。


残念ながらこの様な無差別殺人事件は、後を絶たないだろう。
すでに『ナイフ等の規制強化』などと言った話が出ているが、人を無差別に、そして多量に殺そうと思えばどんな方法でとれる。
この様な小手先だけの対応では、何ら予防措置とはならない。

自暴自棄に陥って、無差別殺人を犯す者も自殺に走る者も本質は同じ真理を持っていると思う。
その様な人間を救うのは、人間でしかない。


ではどうしたらいいか…
戦後60年かかって構築された『個』の生き方を、『集団』としての生き方に変えてやる必要があるだろう。
いや、戦前の懐古主義的な立場から行ってる訳じゃないよ。
自分は社会から阻害された者ではなく、社会の一員として社会を支えている者であると実感出来る教育を行う事が必要だと言っているのだ。
その為の教育改革は、学力低下の問題以上に大切なものとなる。

そしてそれに対する大きな障害は、戦後活躍した自称文化人による社会通念の崩壊だ。
本当の意味として使われていない民主主義の名の下に、日本人が持っていた価値観を破壊してきた。
彼等は価値観を破壊しただけで、その後の指針を示すでもなく、自己の私利私欲のためだけにオーム真理教信者のような『自分の頭で物事を考えられない人間』を多く生産してきた
その様な連中を真っ向に否定し、日本人が集団の一員として受け入れられている実感を持たす教育を行わなくてはならない。

時間もかかるだろうし、金もかかる。
何より教育は票にならない。
票にならない政治家にとっては、大規模土木工事で、無能な有権者を短期の利益だけで引きつけて置いた方がイイに決まっている。
しかし100年後の日本を考えた時、このままの状態で進むと、夕張や、いずれ一地方都市に成り下がる大阪のように、日本全体が沈み込むのは目に見えている。

ニートや引き籠もりの増大から始まり、鬱病患者の増大、自殺者の壮大、そして無差別殺人の増大。
根幹に関わるのは、人間の孤独だ。
そのケアのための人員や予算の増額を考えずして、これからの将来は無いと思った方がよいだろう。



蛇足になるが、そろそろ安田弁護士の出番だな
また自己顕示欲と金の亡者である弁護士達は、大弁護団を立ち上げて「加藤智大」の弁護に当たると良いだろう。
このままでは、多分死刑が求刑されるだろうしね。
だって被害者はどうでも良いし、加害者だけの権利を守るのが弁護士の役目だからな。
今度はどんな手を使うのだろう???
当然、心神喪失で押し通すのだろう。
それとも「ドラえもんがナイフを振り回せば、車ではねた人が生き返る」でいくのかな?
どちらにせよ、弁護士どもは糞喰らえだ。

posted by 諷太郎 at 15:06| Comment(0) | TrackBack(0) | 社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年06月02日

値上げ!値上げ!!値上げ!!!

ガソリンの値段が170円を突破!!
いやはや見事なモノですね。

巷では200円を突破するのも時間の問題だとか…
なんにせよ、そのガソリン代のうち約54円がお役人様の天下り資金となっているのだがね…フッ

確かに日本のガソリン代は、まだ安いという話しもある。
地球温暖化のためにはもっと高くすべきだという話しもある。

しかしだ…
その高くした税金の使い道については、どう考えても納得できないことが多い。
道路特定財源は大半が無駄な道路拡張のために使われ、本来必要な生活道路の環境整備のための予算は、役人の天下りには影響ないが為に蔑ろにされている。
要らない高速道路を造るより、一般生活道を拡張してみろよ。

生活消費物資の価格基準について、政府や役人は一般庶民の事は全く興味はないようだ。
上記のガソリン税の使い道もしかり、後期高齢者医療制度もそうだ。
色々な制度を作る事により、役人の天下り先を作る事だけに血道を上げている。

そんな気がないのなら、例えば今流行の「タスポ」だってそうだな。
タバコを未成年に買わせないのなら、1箱2000円〜3000円にすればイイだけなのだ。
そうすれば喫煙者の数が減り、喫煙が原因の火災や病気による何兆円もの経済損失が解消出来る。
そうしないのはタバコ関係だけで3つもの天下り機関があるからだ。
タバコが売れなくなったら、天下り先も無くなるもんなぁ(^^;)

まあ役人にとって国民がいくら病気になろうとも、未成年がいくら非行に走ろうとも関係ない。
自分が美味しい目をすればいいのだ。

残念な事に、この様な役人共をしっかり規制出来ないのが日本の政治かどもだ。
中央の国会議員も当然の事ながら国民の目を来て話す者は数少ない。
地方も然りで、前回も書いている橋下大阪府知事も同様に一般市民の方には興味がないらしい

大阪を支えてきた零細企業や中小企業に対する補助金の大幅削減を認める方向で進んでいる。橋下知事の支持基盤である大手企業にだけ甘く、それ以外の者はどんどん切り捨てていく「身内に甘く外部に厳しい」彼の性格がもろに出た方針だ。

弱者に強く強者に弱い弁護士の性格が、まともに現れた政策が一般庶民の家計を圧迫する。


まあガソリンだけでなく、食品の大幅値上げも笑ってられない状況だ。
そもそもは農林水産省の無策から発したモノだが、未だに既得権益の確保を最優先し、国民の食品に関しては興味がない。

何にせよ庶民は、当面は外出しない、食べない、電気ガスを使わないで生き延びていくしか方法はないだろう。
特に大阪府民は、橋下政権を作ったという自分のイチビリ精神を悔い改める時間をしっかり持つのがいいだろう。
posted by 諷太郎 at 12:50| Comment(0) | TrackBack(0) | 社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年05月01日

メーデー♪メーデー♪♪

5月1日はメーデーだぁ〜
昔は良かった(…遠い目)

鉢巻き絞めて、旗を持って、シュプレヒコール叫びながら、都会の真ん中闊歩した。

今じゃそんな元気もない。

ってか分裂集会だし、会社の方にも元気がない。
フリーターが多くなり、組合員も激減している。

組合活動が、日本の労働者の夢を担っていたのは遠い昔だなぁ。

戦後民主主義の台頭で、日本人の勤労意識や社会に対する自己奉仕の精神も消えていき、己だけの欲望の為に国家戦略も薄れていく。


ま…いいんじゃない。


高齢者から、なけなしの年金を横取りし、厚生省の天下り先を作っても。
ガソリン税の暫定税率を復活させ、必要もない高速道路をガンガン造っても。


ま…いいんじゃない。


毒餃子事件も日本側の所為にして、東シナ海のガス田の開発も譲って、チベット問題も見て見ぬ振りをして、パンダだけをお土産に貰うのも。


ま…いいんじゃない。


長野聖火リレーの時も、機動隊員を日本側に向けて、赤い旗振る連中ばかりを守ってやり、何処の国での聖火リレーだか分からなくするのも。


ま…いいんじゃない。


今時の政治家だって、己の利権の為だけに官僚共と結託し、取りやすい所からだけ税金を搾り取る。
そんな政治家を選んでいるのは国民だからなぁ。
自分の利益しか考えない国民からは、二階だの河野だのの様なゲスな政治家しか生まれなくなる。


おっと話しがそれてしまった。

今日はメーデー。
今時シュプレヒコール叫びながらジグザグデモは無いだろうが、この固まりきった閉塞感を打破するには、多くの人々の熱い叫びしかないだろう(自分で書いてて、古くさすぎる)。

組合活動は数だ!

貧富の差がどんどん広がっていくこの時代こそ、正規採用、非正規採用を問わず組合活動で政治を変えて行かなくては、何が変わるんだろう…と、ちょっとだけ、ほんのちょっとだけ思った。

しかしだ…

組合活動と言っても、日教組みたいになってしまっては、これまた迷惑な話だけどね。
組合活動は、純粋に労働者の権利と労働条件の改善を目指さなくちゃな。

数は力だよ。
posted by 諷太郎 at 23:34| Comment(0) | TrackBack(1) | 社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年04月15日

調査捕鯨、予定の6割止まり…だそうだ

『水産庁は14日、南極海で実施した2007年度の調査捕鯨について、実際の捕獲頭数が551頭と、予定(815−985頭)の6割程度にとどまったことを明らかにした。
捕鯨に反対する米国の環境保護団体「シーシェパード」などによる妨害行為で、捕獲を中断されたことが響いた。
 当初は、クロミンククジラを765−935頭、ナガスクジラを50頭捕獲する予定だったが、妨害を受け、クロミンクは551頭、ナガスはゼロとなった。(4月14日15時配信 時事通信)』



しっかり成果が出て良かったね、シー・シェパードの皆様(皮肉満開)。
シー・シェパードの妨害活動で、南極海の調査捕鯨船で3人も怪我をさせてまで妨害活動をしたお陰でしょうな。

前回も散々な事を行ったのだけど、日本側の寛大な…と言うか、馬鹿馬鹿しい接待のお陰で『また頑張ろう』と思ったみたいだ。
国内ニュースでも『環境団体』などと場違いな呼称で呼んでいるしね(環境テロリストと呼べ!こいつらが環境団体なら、アルカイダは慈善団体だ!)。

今さらここで、捕鯨の是非を言うつもりはない。
捕鯨は当然の権利だし、反捕鯨は何ら根拠のない戯言でしかないからな。

あ…反捕鯨国や、環境テロリストにとっては戯言じゃなかった。

なんせ反捕鯨国は、自国の産業を保護する為に『反捕鯨』を国策にしているからだね。

シーシェパードの活動拠点にもなっているオーストラリアは特にそうだ。
ご存じの通り、オーストラリアは有数の牛肉輸出国だ。
ところが日本が鯨肉をもっと食べるようになったら、輸出量が減ってくる(アメリカからもガンガン攻勢かけられているしなぁ)。
これじゃオーストラリアとしては困るだろ。
おまけにホエールウオッチングは、これまた大切な観光資源だしね。
だからシーシェパードやグリーンピースに頑張って貰わなきゃ。

それに『環境テロリスト』にとっても大切な金儲けの手段だ。
シーシェパードやグリーンピースは、自分たちでは何ら生産的な活動を行わない…と言うか『楽して金儲けをしたい』連中ばかりが集まっている。

楽して金儲けをする為には、有名になればいい。
その手段として『反捕鯨』を選んだのだ。
より一層過激な行為を起こすことにより有名になり、有名になればなる程、寄付金がガボガボと入ってくる。
その寄付金で、テロリスト達は海上を汚染し、破壊行為を行う
そして自国に帰ると、排気ガスをまき散らす車を乗り回し、膨大なガスや電力を使い倒して環境汚染を促進する

奴らは牛肉を作るのにどれだけ環境が破壊されているか分かっているのに問題にしない。
どれだけ水を使っているのか、どれだけ穀物を消費しているのか、どれだけメタンガスが発生して、結果としてどれだけ地球温暖化が促進されているかなんて、奴らにとってはどうでも良いことなんかからなぁ。

「鯨は可愛くて、殺すのは可哀想…」などと倒錯した感情を持つお馬鹿さん達は、セッセセッセと環境汚染を促進する為に寄付金を貢ぎ、自己満足に浸るのさ。


さてさて最後の問題。
以前中国の原子力潜水艦が日本の領海を侵犯した時に、日本政府は「どうぞ我が国を陵辱してください」との態度を示したように、前回のシーシェパードのテロ事件の時も何らまともな対応を行わなかった。
フランス政府のように船を爆破しろとまでは言わないが、少なくともテロ行為に対しては乗組員の逮捕、拘束、日本国内での裁判を行うのが主権を持つ国家として当然の権利だと思うのは、僕だけかな?


何度も言う。
シーシェパードやグリーンピースは『テロリスト』

おまけに同じ捕鯨国のノルウェーなどに対して、ここまで悪辣な犯罪行為を行わないのは、単に日本人が黄色人種だからなのだ。
たとえばロンドン中心部にある在英日本大使館に3月6日朝、環境テロリスト「シーシェパード」の男女活動家2人が不法侵入した。
当然ノルウェーの大使館にも行ったんだろうなぁ。

え?…行ってないって??

あ、そうか。
ノルウェーは白人の国だもんな。
人種差別テロ団体にとっては、同じ事をやっても白人は許されて、有色人種は鯨以下だもんなぁ。

重ねて言う。
シーシェパードやグリーンピースは『人種差別団体』
KKKと同じ人種差別団体だ。

KKKよりタチが悪いのは、自分たちの金儲けの為だけに多くの人を騙している点だ。まあ自分の脳みそを使わず、他人から言われただ開けで信じて寄付金を出してしまうしまう騙されやすい奴らも大馬鹿者だけどね。

たまには別な観点(下記参照)からも、物事を考えてみては如何かな?
http://www.icrwhale.org/gpandsea-geiken435.htm
posted by 諷太郎 at 19:22| Comment(0) | TrackBack(1) | 社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年03月28日

今時、なんで日教組?

「今頃何でこんな記事だ?」…とお思いの方々。。。
貴方は典型的な日本人ですな(半分皮肉)
毒入り餃子事件も忘れているでしょうねぇ(完全皮肉)

さて、本題に入りますか。
今回は法治国家日本に対する一流企業の非道な挑戦を、こうまで見事に注意を払わなくて良いのかなと言うことで、あえて蒸し返してみるのだ。

詳しい経緯はご存じの通り。
日教組が大会を行う為、昨年の5月の段階で会場と宿泊の契約を行い、前金を払う

ホテル側が11月になって一方的に契約を破棄してきた。

12月に日教組側は東京地方裁判所に対し「会場使用の仮処分を申し立て、認められた。」
これに対しホテル側は保全異議申し立てや抗告をしたが、いずれも認められなかった。

にもかかわらず会場の使用を拒否しただけでなく、あまつさえ、通常の宿泊契約である日教組教職員の宿泊さえ一方的にキャンセルした。

まあ要約すると、
プリンスホテルは客との信頼関係を維持するより、右翼の方が怖くて逃げちゃった(ちなみに、ホテルの大株主に右翼系のお方がいるとかいないとか)…ってことですな。

法律を厳守ることで日本の将来を暴力(暴力団や右翼)の手から守ろうとするより、目先の利益を得るが為だけに、日本の将来はどうなっても良いと言うスタンスをプリンスホテルはとったのだ。

西部グループは以前総会屋などと手を切る為に、かなりの努力をしたと聞く。
その精神は見事に踏みにじられた。
お陰で暴力団や右翼団体を保護することとなり、その活動を増強させる為に誠心誠意を尽くしたと言えよう。
まあこれから、プリンスホテルは「右翼様・暴力団様御用達ホテル」としての看板を、高々と掲げるのがよいだろう。

本当のホテルマンは、客との信頼関係を第一とする。
一度契約した以上、その場で損失を出したとしても、信義を通すのが本物のホテルマンだと聞いていた。
にもかかわらず「他のお客様の迷惑にならないように…」等との弁解をタラタラと述べるだけで、何らホテルマンとしての自覚を持とうともしない
以前の『日教組』の大会がどんな物であったかは馬鹿でも分かっているはずなのに「だまされた」とか言い訳しているが、それであるなら西部グループの情報収集能力の無さを露呈していることでしかない。
まさに信じられないほどの愚鈍な行為だ。


話しは変わるが、この事件に関し様々なブログを見てきた。
嬉しいことに、大半のブログでは、小生同様プリンスホテルの非を追求しているブログが多かった。
ちなみに小生も、日教組という団体はどうしょうもない団体だと思っている。
出来ることならさっさと解散して頂けたらこの上ないと思っているのだが、その事とこの件は問題が明らかに違う。

大半のブログの主もその事は重々承知で、日教組という団体云々より、プリンスホテルの犯した犯罪行為に対する非難・批判が主であった。

しかし…だ。
ビックリしたのが、問答無用でプリンスホテルを擁護しているブログが少なからず存在していることだった。

その内容の大半が、『日本の法律を犯してでも日教組を潰せ』と言った論調であることだったのだ。
確かに日教組は、現在の社会崩壊の大きな原因の一つであることは否定しない。
だからと言って、ようやくここまで民主主義が成熟してきた日本において、その道を後退させるような論調(と言うより、ただのヒステリーにしか思えないのだが)を繰り広げて良いものだろうか。
それこそ、自分の頭で何も考えることが出来ない人間を作ってきた日教組教育の成果かも知れないな。

確かに裁判所の命令は、あくまでも「契約は有効である」と言ったモノで法律違反ではない(条例違反と認定されれば違法行為になるが)。
しかしそれだけを根拠に、日教組憎けりゃ何でもOKでは日本の言論はどうなるのだろう。
様々な思想信条の自由を受け入れて、互いに批判しあうことが民主主義の根幹に関わることではないだろうか。


日教組は3億円を超える損害賠償を請求した。
都も「旅館業法違反」の疑いで捜査を始めている。
さて、それぞれの結末を楽しみにしておこう。


でもまあこの事件は、余りニュースには成らないだろう。
いつもは大騒ぎするマスコミも、売れなきゃニュースに取り上げないみたいだしね…。

でも問題は簡単。
日教組の問題は今回だけは別だな。
公共性もあり社会的な責任を持つ大手ホテルが、裁判所の命令を無視した…これだけ。
posted by 諷太郎 at 21:57| Comment(0) | TrackBack(0) | 社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年04月28日

ゴールデンウィークとNHK

ゴールデンウィーク開始が始まった。
そう…世間一般ではね。

僕は相変わらずの毎日で、ゴールデンウィークだなんて関係ないや。

ここでミニ知識を一発。
NHKでは「ゴールデンウィーク」って言わないのだ。
何故だって?
「ゴールデンウィーク」って言葉は映画業界が作った言葉だそうだ。
民間の映画業界が作った言葉を、天下のNHKが使う事などは沽券に関わるらしい。
だから今でもNHKは『大型連休』と言っている。

↑これはなにげに見ていたNHKの番組で言っていたから(たぶん)間違いないと思う。


となると…
吉田清治(知る人ぞ知る、天下の大嘘吐き)が言い始めた『従軍慰安婦』って言葉を、何でNHKは使うのかなぁ??
言い出しっぺの吉田清治は、今では「あれは捏造でした」と、本人の口からも言っているのに??

やっぱりここは『戦地売春婦』で良いのではないかな?
素人の嘘から始まった言葉をいつまでも使っているようでは、NHKの沽券に関わりますよ。
posted by 諷太郎 at 18:06| Comment(0) | TrackBack(0) | 社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年04月25日

地球温暖化と素朴な違和感

最初に断っておく。
以下の文は全くの感覚で書いており、科学的な根拠は一切使用していない。
よってこの文に対する責任は、これまた一切責任を負うつもりはない。
ただの駄文として読んで頂ければ幸いだし、丁寧に教えて頂けるのならもっと幸いだ。

さて、のっけから大層な書き出しで始まった。
と言うのは、古い話になるのだが米国の民主党元副大統領アール・ゴア氏の著書『不都合な真実』をチラ見して感じた違和感から、書きたいと思っていたのだ。

では…

地球温暖化は、本当に人間が排出しているCO2の量が増えたからなの??
200年や300年の短いスパンで見るより、もっと長いスパンで見ると平均気温が今より12℃以上も高かった時期があったのに?

確かに地球温暖化は大変な問題だと思うが、CO2排出量がダントツの米国が削減に対して国家的な努力をしないのは何故??
ブッシュが政権を握っているからと言いたげだが、ゴア氏が副大統領をやっていたクリントン時代から温暖化は進んでいたのは分かっていたでしょ?

日本は京都議定書で6%(8%だったかな?)の削減を求められているようだが、その基準は何処から出てきたの??
日本は諸外国から見ても、エネルギー効率の良さは世界でも有数の優良国家のハズだね。
中国の7倍以上、米国の2倍以上の効率を誇っているはず。
にもかかわらず6%の削減って、何処から来たんだろう?

中国の話が出たからついでに、京都議定書では中国やインドは発展途上国と定義づけられ、削減の対象になっていないのは何故??
今や中国は、米国に次ぐCO2排出国家になっているはず。
いくら諸外国が努力しても、米国と中国だけでCO2を排出し続ければ、意味がないと思うのだが?

CO2の排出は化石燃料に由来する所が大きい。
そのため最近流行のバイオ燃料(バイオエタノール等)は、たしかにCO2を植物として再吸収する理屈になるが、バイオ燃料が発生させるホルムアルデヒドなどの有害物質については全く議論の対象にならないのは何故なのだろう??
さらにトウモロコシなど、貧困国家においての主要食品の値段が高沸し、更に国家間で経済格差が生じている事は問題にならないのだろうか?

グリンピースやシーシェパードは、米国やオーストラリアの牛肉産業を援助するために、日本のような捕鯨国家に対して悪辣な非難中傷、あげくに実力行使をしている。
しかし温暖化について考えると、牛を育てるために開墾された牧草地より、本来の森林の方が圧倒的にCO2の吸収率がよい。
にもかかわらず、なぜグリンピースは米国やオーストラリアの牧場に対して抗議行動を起こさないのだろうか??

ゴア氏個人の事になるが、彼の家では米国の一般家庭の20倍(30倍だったかな?)ものエネルギーを使用していると聞く。
エネルギーの使用は、そくCO2の排出増加に繋がってくる。
何だか言ってる事とやってる事が違うんじゃないの??
「エネルギーの大半は電気でまかなっている」とはゴア氏の弁らしいが、その電気を作るのにもCO2を排出しているのだよ。

火力発電が出すCO2は当然膨大な量である。
水力発電でもその地の環境を大きく破壊する事は、すでに周知の事実だし、維持管理に関しても莫大な費用がかかっている。
風力発電は安定的な電力の供給を満たす能力もなく、さらに周りの生態系を破壊しているといった報告もある。
切り札と言われている太陽光発電も、他の発電方法に比較しても生産コストの膨大さがおおきなネックになっている。
そして原子量発電(僕はコレが今の所最適とは思っているのだが)も、放射能の管理体制や廃棄物処理の方法で受け入れられていない部分が大きい。

この様にゴア氏がいくら奇麗事を言っても、現実は彼のスタンドプレーでしかない事が見て取れるのだ。

だからといって、地球温暖化に対して無策でよいと言うつもりは全くない。
ゴア氏は『不都合な真実』を米国本国で徹底的に浸透させ、京都議定書を批准させ、中国とインドにもエネルギー使用効率の改善を知らしめ、さらには彼自身の自宅の生活をも改善させるべきなのだ。

「人権」だの「環境」だのと声高に叫んでいる奴ほど胡散臭いと感じるのは、きっと僕の根性がひねくれているからだろう。
posted by 諷太郎 at 15:21| Comment(1) | TrackBack(1) | 社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年04月10日

学校に競争原理?!?

教育再生会議分科会で「学校に競争原理を積極的に導入する事」ってのが決まったらしいね。

基本的には、先生の給料を能力給にする事らしい。
まあ、↑これには反対はしない。
確かに、「お前、どないな事教えてんじゃ」って先生を見た事あるしなぁ。

でも…メッチャ素朴な疑問だが、誰がそれを決めるんだ?

何処ぞやで「保護者、生徒に評価させよう」って話も出てた様な気がするが(記憶違いかな?)、まさかそんな馬鹿な話はないだろうねぇ。

ましてや学校はちいさな社会だ。
色々な教師がいてそれぞれの役割をする事で、社会に対応させる術を教えるって役割もある。
中には子供に嫌がられるような役割(叱り役)の先生だっているだろう。
そんな役の人は、子供には人気ないからなぁ。

でも管理職が決めるとなると、これまた大変だ。
民間の会社でもそうだが、給料を上げて欲しいが為に上しか見なくなる奴ってのが出てくる。
管理職にしてみても、花火打ち上げて失敗する奴より、自分の事何でも聞いて当たり障りのない事で手間かけない奴の方がいいに決まってる。
ハタして、そんな奴に子供の気持ちがどれだけ分かるのかな?

でもまあ、本当に役に立たない先生は、減給していいと思う。
ってか、クビにしてもいいと思うよ。



さて、この議論の中でどうしても賛成できない部分がある。

『学校間や地域間でも競争原理を働かせる』って所だ。
「学校選択制を前提に」って言ってるけど、この分科会の委員は「地域格差の実体」ってのを理解若しくは体感してるのかねぇ?

僕の住んでいる市にも多くの小中学校があるけど、その学校の近くを通っただけで生徒の違いがすぐ分かる。

高級住宅街の中にある学校の生徒なんかは、みんな穏やかな顔つきで通ってるよ。
繁華街の近くにある学校では、厳つい服装や顔つきをした生徒がウロウロしている。

端から見ただけでもこうなのに、中ではもっと大変だろう。
なのに、『教育の質の高い学校には予算をタップリ…』だって!!!
何を基準にするんだい???
全国一斉テストの結果を基準にするのかね…バッカじゃないの。



教育の再生は
@人と金
A子供に対する懲戒権
B大学制度の改革
これに尽きるよ。

@先進国と言われている国の中で、未だに40人学級で教えている国がどれだけあるんだい?
自分の子供1人も充分満足に見る事が出来ないような中で、スーパーマンでも40人もの子供を見る事なんて出来る分けないじゃん。
A日本では自称『人権派』の弁護士やマスコミ関係者のお陰で、子供達は何をしても許される国になった。
特に「加害生徒の人権は、何が何でも守らなくてはならぬ」という事で、被害を被っている生徒達は大人や先生に対する不信感が増大している。
でも簡単な事なんだなぁ〜。
悪い事をした子供に対しては、体罰を含む懲戒を与える権利を教師側に持たせる事。
子供には「人様に迷惑をかけたら怒られるんだ」ってのを教えなきゃなぁ。
Bコレが一番大変かな。
この前、色々な高校で未履修問題があったが、結局小中高校は大学にはいるためだけの予備校化となってるね。
大学が、生き残りのためかどうかは知らないが、入試科目を削減してきた。
その為、入試科目だけの勉強になってきているってのは、偏った人格を形成してしまう。
少なくとも、今後国際人としてのバランスの取れた人格を形成するためには、広い知識も必要だろう。
深く掘り下げるのは、大学に入ってからでいいんだよ。
大学入試は、出来るだけ多くの教科を行うべきだ。
「受験戦争の再発になる」と言う輩も出るだろうが、何故悪い?
大学自身が、入学が大変で出るのは簡単って事を止めればいいのだ。
本当に大学で勉強したい奴が努力するってのは、悪い事ではない。


まあ結局教育再生会議の委員は、視野の狭い範疇でしか考えられないんだろうなぁ。
1年でいいから、現場のしんどい学校に行って先生やってから物言えよな。
posted by 諷太郎 at 12:00| Comment(2) | TrackBack(0) | 社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年03月31日

「沖縄の集団自決」に対する教科書検定

今日は続くよぉ〜。
気になる事がいっぱいだぁ。

文科省が昨日、教科書の検定結果を公表した。

気になったのは、どのニュースでも取り上げられていた事だが「沖縄での集団自決に、軍の関与がなかった」と言った検定意見があるという事だ。

キーワードは『軍の関与』

『軍の関与』と言ってすぐさま思い出されるのは「従軍慰安婦問題」だろう。
たしかに沖縄でも、軍が「住民は自決せよ」との命令を出したわけではない。
文科省の連中は「沖縄での件で軍の関与を認めたら、従軍慰安婦問題でも認めなくてはならなくなる」とでも言いたいのか???

あぁ…
なんて立派な馬鹿野郎だ。

当時、軍は強姦や略奪については犯罪として統括していた。
当然朝鮮半島においても同様で、侵攻した地で強姦などの行為を犯した者は軍法会議で処罰されていた。
実際、米国公聴会で発言したオランダ人を拉致し慰安婦とした者は、その後その事件で死刑にまでなっているではないか。
そうしないが為に、日本軍は当時非合法ではなかった民間の慰安所を許可してきたのだ。
慰安婦集めのために、直接軍が動いたのではない。
もし動いた者がいたら、それはその個人の犯罪であって軍法会議で処断されるモノだ。
ところが、中国・韓国・北朝鮮の連中はそれをプロパガンダに利用し、金に目の眩んだマイケル・ホンダ米国下院議員や、物事を理論的に理解できない他の議員連中によって反日法案を通過させようとしている(今回コレは、余談だったな)。

ところが従軍慰安婦問題と異なり、沖縄での自決には明らかに軍が関与している部分がある。
民間人が避難していたガマを軍によって追い出されたり、足手まといになる民間人(負傷軍人も含む)に自決のための武器弾薬を供与したりと、軍が関わっている事象は多々ある。
残念な事だが、コレは当時としては犯罪ではなかったのだ。
だからこそ、軍の関与があったと言ってもいいだろう。

歴史書(教科書を含む)には事実を記して欲しい。
沖縄での軍の関与は全てではない。
その部隊を指揮する司令官の裁量に寄るところが大きいと思う。
教科書には、その事も踏まえ記して欲しいと思っている。


沖縄は、近代国家日本では最初で最後の地上戦(多数の民間人を巻き込む)がおこなわれた所だ(元寇以来だね)。
だからこそ沖縄での事は、是も非も善も悪も語り継がねばならない。
妙な検定意見をつける事ではなく、偏った記述がなされていないかを見極めるのがお仕事だと思うのですが…
どうですかな?
posted by 諷太郎 at 14:55| Comment(0) | TrackBack(0) | 社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年03月23日

国の借金は832兆円(@o@)

財務省は、国債や借入金などを合計した「国の借金」が2006年末時点で832兆2631億円に達したと発表した。

あまりに凄すぎて、想像すらつかん…。

国民1人当たり(1億2772万人)に換算すると借金は651万6000円になるとの事。
はぁ〜〜、僕の年収より借金の方が多いって事だけは理解した。

おっと!!忘れていたが、借金は国だけでなく地方でも多量にある。
たしか…200兆円は超えていたと思うのだが、そうなると合わせて1000兆円超って量になるんだなぁ(想像不可能)。


で…
コレをどうするの?
借金のほとんどが国債だと思うのだが、その利子の返済だけでも信じられない金額でしょ。
にもかかわらず、国はどんどん国債を発行しているし、必要のないところで税金を使ってるし…


あ!!☆ 分かったぁ。
終戦直後の方法をとろうとしているなぁ〜。

↑は何だって?
『ハイパーインフレ』さ(^^)

造幣局は、どんどん金を刷りまくって、ものの4〜5年で1万円を1円程度の価値にすればいいのだ。
そうすれば1000兆円であろうが、アッという間に1000億円位の価値になってしまう。
チョロいモンだ。

って、馬鹿な事を言ってる間じゃないね。

さて、コレを解決するには2通りの方法があるのは周知の事実だ。
1つ目は出るのを規制する事。
2つ目は入るのを増やす事。

普通の家庭では赤字になると出るのを規制するが、どうやらお役人や政治家はそうは思わないらしい。
「いつかはバブルが戻ってくるさ」って感覚で、ガンガン責めてくる。
それも、自分達の為だけにね。
まあ『財政危機だ』と危機感を作り出し、消費税の税率アップを狙っている役人や政治家共は、その最たるモノだろう。

でもその前に、やらにゃならん事はいっぱいあるだろ。

まずは不必要な支出を徹底的に削減する事
日本が夕張市のようになる前に、役人の天下り先を作るのを止めるだけで、少しはマシになるだろう。

しかし…すごい金額だ(^^;)
posted by 諷太郎 at 20:32| Comment(1) | TrackBack(0) | 社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年02月25日

H2A打ち上げ成功

宇宙航空研究開発機構は24日、報収集衛星を搭載したH2Aロケットを打ち上げ成功した。
最近何度か失敗や延期を繰り返していただけに、なんともホッとする出来事だった。

目的は北朝鮮に対する偵察衛星だが…残念な事に、果たして何処まで役に立つだろうかというのが素直な感想である。

最も大きな原因は、他国の商業衛星の識別解像度が60cmに対し、日本の衛生は1mしかないからだ。
1m程度ではトラックと乗用車の区別くらいしか出来ない。
米国の軍事衛星のように10cmまでとは行かないでも、せめて50cmクラスの解像度を持たないと、打ち上げる意味はないだろう。

しかし今回問題にしたいのは、この事ではない。

どうやら日本の宇宙開発を、国ではなく民間に委託しようとする方向に進んでいるという話を聞いたからだ。
ご存じのように宇宙開発には膨大な資金が必要になる。
40年前に実行されたアポロ計画では、現在価格にして20兆円もの資金が投入されている。
しかしそこからフィードバックされた技術は、数え切れないものがある。

日本はどうだったろう?
以前は宇宙科学研究所、航空宇宙技術研究所、宇宙開発事業団がそれぞれしのぎを削っていた。
米国がNASA一本で集中していたのに対し、何と非効率的な事をやっていたのだろう。
ようやく宇宙航空研究開発機構に一本化されたのだけど、コレは単に経費節約のためだけで、本格的に宇宙開発に取り組もうとしているわけではない。

「宇宙開発はロマンだ」と言う人がいるが、これはロマンではない。
海洋生物が海から陸に上がって大きな進化を遂げたように、人類は地球から宇宙に飛び立ち進化を遂げる為の、さらに大きな一歩になるのだ(あ…やっぱりロマンかなぁ)。

また未来に地球上では人口は爆発的に増殖し、一惑星だけでは生活を支えきれなくなる。
その為、新しい世界を求めての準備が必要になるだろう。

…って、こんな遠い未来の話だけではない。

宇宙の無重力空間における新しい技術の進化には、大きな期待が寄せられている。
新薬や新素材の研究、新しい物質の発見、等、色々な分野での可能性が秘められている。

あえてそれを放棄する術はない。

更に言うと、ロケットの開発は重要な軍事産業にも直結する。
日本は平和国家であり、日本から他国を侵略する事は有り得ない。
しかし、他国からの侵略に対しては充分な対抗策を持たなくてはならない。
そのカードとしても利用できるのだ。

様々な可能性を持つ宇宙開発を、国の手で導かずしてどうするというのだろう。
国には技術立国として先行投資の大切さを、もう一度見直して貰いたい。
このH2A成功を機に、もう一度しっかりと取り組んで欲しいモノだ。
posted by 諷太郎 at 18:06| Comment(0) | TrackBack(0) | 社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年02月09日

少子化対策のための医療改革

柳沢伯夫厚生労働相の「女性は産む機械」発言が、なかなか収まらない。
前にも書いたが、基本的には大臣辞任ではなく議員辞職をすべきだと思っているが、どうやらこのまま収拾させるつもりみたいだなぁ。
まあどうしても辞める気がないなら、せめて今後の活動を「ああ、辞めさせないで良かった」と世間に言わせるだけの活動をして欲しい。

さて、今回はその話ではない。
少子化対策についてのささやかな提案だ。

子供を安心して生むための病院についてだが、以前奈良で妊婦がたらい回しに会い、お亡くなりになると言った事件があった。
その後の報道でも、「産婦人科や小児科の医者が足らない」との特集が組まれている。

残念な事に最近の医者は弁護士同様の輩が増えてきて、人の命に向かうよりお金の方に向いている者が多くなってきたみたいだ。
時間も不定期だし、仕事もハード、挙げ句に何か事あればすぐに告訴の対象になりやすい産婦人科より、セレブ相手の美容外科の方がずっと楽でお金も入りやすい。

しかし医者には「命」に対する使命感を持ち続けて欲しいのだ。

僕にもお世話になった医者が多くいる。
みな尊敬できる医者で、他の患者からも信頼されている。
全ての科の医者が、その様な尊敬を受ける医者になって貰いたい。


話が変な方向に飛んでしまったが、「なら、どうするか?」だな。

医学部を分けちゃいましょう。
現在は医学部として、全ての科の勉強をし、出た後は自分で好きな科を選択することが出来る。
その為、医師国家試験の難易度は世界的にも類を見ないほど高く、医師不足の一要因になっている。
それを最初から大きく分けてしまおうと言う提案だ。

「産婦人科・小児科」と「それ以外の科」にしたらどうだろう。
学部だけでなく、医師免許も大学も分けてしまうのだ。

特に「産婦人科・小児科」の医学部については、各都道府県に都道府県立(国立でもいいよ)の医学大学を作る。
で、学費の免除だけでなく、在学中は給与の支給も考えよう。
ただし、卒業後の限られた年数は、その都道府県内の定められた場所に赴任すること…そう、防衛大学校の発想と同じだ。

まあついでに言うと、都会の開業医よりはより条件の良い給与は保証しなきゃね。

医療は国民の命と財産を守る。
国の防衛と同じに扱わなくてはならない。

生まれ故郷を愛し、生まれ故郷の役に立ちたいと思っているものは多くいる。
その意志をくみ上げなくて、奈良の悲劇はまた起こるだろう。

この様なことに税金を使うなら、僕もしっかり払ってやるよ。
「素人の発想だな」などと言わず、一考して頂けたら嬉しいのだが…どうだろうかねぇ。
posted by 諷太郎 at 00:20| Comment(5) | TrackBack(1) | 社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年02月03日

柳沢伯夫厚生労働相の罷免要求・等

今日は小ネタ集。


まずは柳沢伯夫厚生労働相の「女は子供を産む機械」発言に対してだが…、
大臣罷免だけで済むような発言だとは思わない。
石原東京都知事が同情的な発言をしているが、それでも言って良いことと悪いことがあるのが世の常だ。
それとも自分の家族(母親・姉妹・嫁・娘・等)にそのような発言をしてきたのだろうか?
人の気持ちが分かること、分かろうとすることは、政治家としての基本姿勢だと思っていたのだがね。

まあ不二家の問題と同じで、取り返しの出来ない発言だから、彼は議員を辞職するのが適切だろう
任命権者の安倍総理も、ここはキッパリと切り捨てて欲しかった。
安倍総理の優柔不断さが裏目に出ているように思えて仕方ない。

さらに都合の悪いのは野党の方。
補正予算案などの参院審議拒否を決め込んでいるが、国会は討議討論してナンボのものだ。
討議も討論もなしに審議が進むのなら野党の存在意義はない
変な話だが、今回は共産党の姿勢が最も適切であろう。

しかしこの問題で一番喜んでいるのが、例の辻元清美。
久しぶりにテレビに映って張り切っている。
馬鹿馬鹿しい限りだ。


さて次は中国の衛星攻撃兵器実験成功についてだが…
これまた困ったものだ。

なんせ破片(デブリ)の影響は凄まじいモノがある。
僅か数センチの破片でもぶつかると、他の衛生の機能を停止させてしまうだけでなく、宇宙ステーションやスペースシャトルなどにぶつかると生きて帰れなくなってしまうことになる。

宇宙開発は平和利用が大原則だ。
しかし現実的に考えると、中国と米国が戦争を起こした時に米国の軍事衛星は中国にとってはスゴイ脅威になる。
それを恐れる中国軍部の上層部を、胡錦濤は押さえることが出来なかったのだろう。
コレが新たなる宇宙戦争の切っ掛けにならないで欲しいと思うばかりである。


最後は文科省が明示した体罰範囲についてだが…
所詮頭の○○お役人様が、机を前に思いつきで出した方針だなぁ〜と感じさせられる内容だった。

だいたい今までの体罰基準は、昭和23年に法務庁長官が出した答申が基本になっているらしい。

昭和23年だぞ!!

その当時の子供と今の子供の資質が同じだと思っているのだろうか。
今では教師に対する親の感覚も、180度異なったモノとなっているのにすら気が付いていない奴らが、新しい指針を出しても役にも立たない。

例えば「出席停止」を伝家の宝刀のように打ち出しているみたいだが、子供に対する躾や教育はタイミングを逃しては全く意味を為さない。
お役人様「事件発生→学校で粘り強い指導を行う→それでも再発→教育委員会に報告→学校は出席停止を受ける児童・生徒用の個別の指導計画を作成する→委員会は親と協議→その後出席停止」って感じで考えているみたいだが、一体何日かかると思っているのだろう?????
その間、まともな授業を受けたい生徒はほったらかしでいいらしい
何だか、刑事事件の加害者の人権は最大限保証するが、被害者の人権は認めない今の法律と同じように思うのは僕だけだろうか?

まあ他にもツッコミ所は山ほどあるが、なんせ馬鹿馬鹿しくて話にならない。
ほんの少しでも役人に日本の未来を憂う感情があったなら、もう少しマシな方針が出るのではないかなぁ〜。
…って期待しても無駄かぁ。


さて小ネタ集でした。
またこれらに関しても深く掘り下げてみたいと思う。
posted by 諷太郎 at 20:19| Comment(0) | TrackBack(0) | 社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年01月31日

法制審議会、要綱まとまる

「あぁ…ようやく」と言った感じかなぁ。

以前からここでも取り上げているように、日本の刑法は先進諸国と比べて100年は遅れている。
それは自称人権派の弁護士達と無能な法務大臣、そして何も考えずに報道を垂れ流していたメディアの所為だった。

今までは加害者の人権のみが保障され、被害者の人権がおざなりにされていたが、ようやく被害者の人権にも目が向けられるようになったようだ。

「死刑廃止論者にもの申す」でも書いたように、刑法の発足目的には社会秩序の維持なしには語れない。
それには被害者の人権を抜きにしては、何も進まないだろう。


しかしこの答申に対して日弁連は猛反対をしている。
これまた「あぁ…やっぱりだな」。

その理由が社会通念とかけ離れている事は、今更言うまでも無かろう。

「全国被害者の会」代表幹事の岡村 勲氏は、以前無知文盲の弁護士だった。
しかし家族が殺されたことにより初めて被害者の気持ちが分かったという。
そして彼はその後、被害者の会を立ち上げ被害者のために尽力を尽くしている。
今回の答申も彼等の力の及ぶ所が多いだろう。

この様に、ほとんどの弁護士は我が身に災難が降り懸かってこない限り、被害者の為ではなく、我が身の利益のためだけに行動する。
まあ、日本の法体系が真っ当なものになるためには、この様な自己中心的な弁護士共の意識改革からやらなくてはならないだろうなぁ。

取り敢えずは、ようやく第1歩が始まった。
後は国会での審議を待つだけだが、よもや覆ることはないだろう。
少しでも犯罪による被害者の心情を重んじ、早急に進めてもらいたいモノだ。
posted by 諷太郎 at 16:40| Comment(0) | TrackBack(0) | 社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年01月28日

何処まで続くの?不二家問題!

不二家問題で、食品会社の対応がかなり過敏になってきているらしい。
今朝の読売で「食品自主回収ラッシュ」と記事が出ていた。
半月で15社が公表・回収しているらしい。

ビックリだ(@ο@)。

確かに食い物に関しては、作る方は神経質であって欲しい。
特に製品化された食品については、なかなかわかるものではないからなぁ。

以前よりここでも書いているように、日本の食糧自給率はかなり低い。
その為、安い近隣諸国からも大量の食料を輸入している。
最近ではかなり安全になってきたとは言え、まだまだどんなモノを食わされているか知ったものではない。
だからこそ日本国内で製造された食品には、不二家の様な事はあってはならないのだ。

雪印の時もそうだったが、いくらシステムを整備していても運用する人間にその気がなければどうしょうもない。
不備があった食品を、回収して謝罪すればそれで終わりと思って貰っては困るのだ。

忘れてならないのは「人間は必ず失敗する」事だ。

だから色々な失敗を想定して対策を立てておく。
それでも失敗した時は、必ずその原因を突き止め分析する。
そしてその対策を講じ、それらを発表する。
そこまでやって初めてヨシだな。

これらは非常に地道な努力と資金が必要だが、これから食品会社が生き残っていくためには必然的なものになるだろう。

国産の原材料が入手しにくい物については海外で生産させているが、現地で日本人の手によって管理させているような会社も多くなっているように、消費者の関心もシビアになってきている事は喜ばしい事だ。
なんせ農薬タップリの食品や、BSEの危険性がある食品など、食べたくはないからなぁ。


しかし、過度の反応も注意したい。
『清潔』ではあるべきでも、人は菌と共に生きている。
今は抗菌グッズなどが日常的に存在しているが、何事も『過ぎたるは及ばざるが如し』。
少々「賞味期限」の過ぎた物を食ってもどうって事はないのだ(これは、あくまでも消費者側の選択であって、食品会社は売っちゃダメだよ)。

これを書いていてふと思い出したのは、昔、賞味期限が切れた食い物を親に出された事だ。
「変な味だなぁ」と思いつつも、みんなで食ってしまった。
その後なにげに袋を見て驚いた。
…賞味期限は3年前に切れていたのだ。
しかし親はビクリともしなかった。
その時は結果として何事もなかったが、今考えると恐ろしい(^^;)

はい…昔の人間はそんなモノです。


でもまあそれは、何かあっても自分の責任。
作る側の理論であってはならない。
作る方は社会に対する責任がある。
食の安全は、未来永劫に至るまで関心を持ち続けなくてはならないだろう。
posted by 諷太郎 at 16:04| Comment(2) | TrackBack(0) | 社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年01月21日

教育基本法の改正

少し前の話だが、平成18年12月15日に新しい教育基本法が成立し22日に公布・施行された。
しかし「やらせ」タウンミーティングなど、あまりに稚拙な方法で広めようとしたのは頂けない。
何故もっと本質的な討議に持ち込まなかったのだろう。

教育基本法の改正については、以前から特定グループ(偏向的偽善市民団体)による反対が盛んにおこなわれていたが、ほとんど感情的な話ばかりだった。
教育基本法を改正する→日本は軍国主義に陥る→朝鮮半島に出兵する→中国が参戦し、日米軍と中韓軍との戦争が広がり第3次世界大戦となる→日本は負けて多くの日本人が死ぬ
…って事ですね。

う〜〜〜ん、あまりにも非現実的な事を信じているのが哀れだ。
まあ「鰯の頭も信心から」って事で、変な信仰を信じている連中には、真っ当な論議は通用しないのは分かっている。
だからここでもそんな事を書いても仕方ない。


さて今回気になった事。

まずは『教育勅語』についてだが、どうやら教育勅語の本質について勘違い(もしくは悪意の曲解)をしている人が多いのが気になる。
変な信仰をしている人たちは『教育勅語』=『軍国主義教育』らしいが、本来はその目的で創られた物ではない。
明治以降西洋文化をどんどん取り入れた日本は、日本古来からの精神も西洋化しようとは思わなかった。
西洋文化は(以前からここでも書き込んでいるが)キリスト教の文化だった。
日本には日本古来の宗教と文化があり、それを捨ててまで西欧化するのをヨシとしなかったのだ。
その為の指針として教育勅語は作られた。

ただ、残念な事に天皇主権(当時としては当たり前の事だが)を軍部に利用されたのが悪いイメージを作り上げてしまった。
しかしこの本質は、日本人としてのアイデンティティを明文化したものなのだ。
その時代の時代背景と日本の置かれた立場、そしてその時の日本人が目指した日本の未来像をしっかりと見る事により『教育勅語』について考えてみてもらいたいモノだ。

次は教育基本法を改正すればそれでヨシとしている文科省の態度だ。

新しい教育基本法を読まれた方は理解して頂けると思うのだが、この法案を通過させるために、かなりの変貌を遂げている。
民主党の原案の方がまともだと思われる部分すら存在する。
まあ一つ一つについてはまたの機会として、この教育基本法はあくまでも理念でしかない。

今までの教育基本法ですら、旧文部省の好き勝手な解釈によって紆余曲折をおこなってきた。
いくら法律を変えても、その運用一つでどうにでもなるってのが怖い所だ。
実際役人という物は、ひたすら上しか見ていないものが多い(みんなじゃないよ)。
文科省が意図していない事でも、地方の教育委員会単位まで降りてくるととんでもない縛りがかかる事もある。
だから基本法を改正しても、どの様な実施案を出してくるかの方が重要なのだ。

これからの日本を左右する教育基本法は、ただの御題目だけで終わらせては行けない。
ただその運営方法は、しっかりと見届けて行かなくてはならないだろう。
posted by 諷太郎 at 21:54| Comment(2) | TrackBack(0) | 社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年01月17日

阪神淡路大震災から12年

阪神淡路大震災から早12年…
「ああ、もうそんなに経つのか」ってのが素直な感想だが、被害にあった人にとっては昨日の事のように思えるとの事。

そうだろうなぁ…。

当日の事は僕も覚えている。
僕の所では震度4くらいだったが、そんな揺れも初めての経験だった。
慌てて子供の所に飛んでいき、安否を確認した。
家での被害はほとんど無く、息子の方は寝たままで地震に全く気が付いていなかったというオチまで付いたが、職場に行って初めて事の大きさに気が付いたものだった。

震災2ヶ月後、仕事の都合で神戸近辺を通過したのだが、それは酷い有様だった。
家に帰って、自分が震災にあった時の為の準備をそそくさと行ったものだ。
しかし我が家は現在の耐震基準以前に建てられた家だから、阪神淡路大震災規模の揺れが来ると倒壊は免れない。
そこで勢いで、若干ながらの耐震補強もした。

でもあれから12年。
今はそんな危機感のない自分にビックリする…と言うか呆れている。

人間、自分が被害に遭っていないと「正常性バイアス」と言ったモノが働くと言う。
これが被害を拡大させる一つの原因になっているとの事。
「この程度なら大丈夫だろう」と言った、変な安心感を持つらしい。

日本は地震活動が活発になる100年に入っているはずなのに、この危機感の無さはどうしたものだろう。
いつ来てもおかしくない大地震。
何処で起こってもおかしくない大地震。

「出来る事なら僕が死ぬまでに来て欲しくはない」と自己中な事ばかり考えていたり、「自分だけは大丈夫だろう」と言った馬鹿な感覚も持っている。


放射線医学総合研究所や神戸薬科大学で、大気中のラドン濃度で地震の発生委が予測できる可能性があると発表した。
これが確立すると、地震による被害者の数は激減するだろう。
何とか早くこの研究が確立して欲しい。

しかしいくら予測が出来ても、それに対処する準備が出来ていなければ同じ事だ。
備え有れば憂いなし。
今日を機会に、再度身の回りの防災に関して、確認をしていきたいと思う。



阪神淡路大震災の犠牲者に哀悼の意を表し、我が身を振り返る一日だった。
posted by 諷太郎 at 22:50| Comment(0) | TrackBack(0) | 社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年01月09日

死刑廃止論者にもの申す

フセイン元大統領の死刑執行で感じた事第3弾!

フセインが死刑を執行された事で、いくつかの国から非難の声が挙がっている。
大半がEU諸国からだ。
ご存じのようにEUに加盟するためには、死刑の廃止が条件となっている。
特にフランスなど、死刑廃止を、間近にしている国からの非難は当然だろう。
ただ、今回は『死刑廃止』が本当に正しいのかどうかを検証してみたい。

死刑廃止論者の言い分を次のようにまとめてみた。
【死刑は残酷だ】
 死刑の起源は血の復讐と人身御供にある。死刑は、理性的な司法の手段ではない。
 また近代法では「私的制裁の禁止を原則」と言った理念を持っているので、刑罰は復讐のためにあるのではない。
【死刑は国家による犯罪だ】
 死刑は残酷で残虐な刑であって、憲法36条にも違反する
 過去に行われていた身体刑や火あぶりや串刺しといった死刑方法も、現在では残虐だと言われるようになっている。
【冤罪の危険性があるのに、死刑を執行すると取り返しがつかない】
 免田事件や弘前事件のように免罪によって死刑になっていたとしたら、取り返しがつかない事になる。
 誤審の可能性は必ずあるので、死刑が執行されると救済される事がない。
【死刑が凶悪犯罪の抑止にならない】
 死刑が犯罪を防止する効果を持つという証拠はない。
 実際に死刑を廃止した国で、凶悪な犯罪が多発したような例は見られない。
【死刑を執行する刑務官に殺人を押しつけて良いのか】
 実際に死刑を執行する刑務官の精神的なストレスを考えると、刑務官にその様な負担を与える事は刑務官に対する人権侵害になる。
【国際社会では死刑廃止が趨勢である】
 EUを中心に、あらゆる犯罪に関して死刑を廃止している国は88カ国(通常犯罪のみの死刑廃止国は11カ国)ある。
 また、死刑制度があっても死刑が執行されていない国は29カ国ある。
 この様に世界的な流れとして、死刑廃止が進んでいる。

と言ったような、意見に集約されるのではなかろうか。

他にもこのような意見も見られた
【地方裁判所で無期、高等裁判所で無期となったのに、最高裁判所が死刑を出すのは社会の多数の意見を反映していない】
 地方裁判所から最高裁判所に至るまでの経過で、揺れるような判決が出ること自体がおかしいのであって、その為にも死刑を廃止すべきだ。
【死刑因の反省や更生の機会を奪う事になる】
 死刑を執行する事により、死刑因が反省し更生するかも知れない機会を奪う事は人権侵害にあたる。



さてこれらについて、一つ一つ検証してみよう。

【死刑は残酷だ】
 一般の人々は「人を殺した者は、その生命をもって償うべきだ」と考えるのが法的確信だという(つまりは復讐のこと)。
 反対論では「私的制裁の禁止を原則」をあげているが、そもそも法律が発足したのは、私的制裁の代わりに国家による制裁を行う事によって社会秩序を保とうという概念から出てきたはずだ。
 「私的制裁の禁止」をどのように捉えるかと言った問題になるのだが、復讐の感情だけで行われる私的制裁ではなく、客観的に犯罪を分析し刑罰を与える事により被害者の感情を鎮める目的を忘れる事は出来ないだろう。
 また、『残酷』の基準をどの様に考えるかといった観点もある。
死刑廃止を実施している国の最高刑は「終身刑(これに関しても、様々な弊害が出ているので、また日を改めて)」だが、死ぬまで出所出来ない方が残酷だと考えている終身刑因が多くいるとも言う。
 実際、終身刑では社会復帰の望みがなく、受刑者に絶望感を抱かせるのみの過酷な刑罰であり、受刑者を自暴自棄にし、刑務所内の秩序維持の面からは問題が多いとの報告もなされている。


【死刑は国家による犯罪だ】
 この考え方も、反対論者の感情的な意見に過ぎない。1でも書いたように、法律が発足した原因を考えればこの様な事は言えないはずだ。
 国家による犯罪とは、明らかに応報関係や正当性がない場合に行われるものである。私的制裁の代行として行われる場合は「社会秩序」と言った正当性が見受けられる。
 また、「刑罰としての残虐性」と「国家による犯罪」とは明らかに次元の異なる話だから、同一視すること自体が間違っている。


【冤罪の危険性があるのに、死刑を執行すると取り返しがつかない】
確かにこればかりは避けて通れないものだろう。死刑廃止を選択している国がそうなった多くのきっかけがこれであるという。
 またどの国でも、『政争の具』として死刑が利用されてきた事は否めない。
 近年になっても、中国をはじめ法体系が整っていない国では今でも政争の具になっている。
 ただ、だからといって死刑廃止に直結させる事は、冤罪を発生させないだけの努力や緊張感を怠ってしまう事にもなる。
 死刑と無期懲役の間に終身刑を設定する事や、より慎重な刑事手続を踏むことによって誤判や冤罪はかなり防ぐ事が出来るのではなかろうか。


【死刑が凶悪犯罪の抑止にならない】
 たしかに死刑が犯罪を防止する効果を持つという証拠はないし、実際に死刑を廃止した国で、凶悪な犯罪が多発したような例は見られない。
 ただ逆もそうであって、犯罪抑止効果がないという証拠もないし、凶悪犯罪が増えなかったといった検証も出来ていない。
 つまりは犯罪はその時代趨勢や環境の変動によっても変化するもので、検証のしようがないと言う事だ。
 だからこれらの事を、どちら側の根拠としてあげる事も困難だと思われる。
 ただ、死刑は凶悪犯罪の抑止だけが目的ではないのを忘れるわけにはいかないだろう。


【死刑を執行する刑務官に殺人を押しつけて良いのか】
 これには呆れてしまった。同様に思い出されるのが、ここでもよく取り上げている杉浦元法務大臣の発想だ。
 日本では職業選択の自由が認められている。死刑執行を職務として受け入れる事が出来ないなら、その職に就く事を否とすればよい。
 杉浦元法務大臣も、職務のなかに死刑執行のサインがあるのだから、その段階で拒否も出来たはずだ。思想信条を理由として、その部分だけ拒否する事は卑怯以外の何ものでもない。
 警察官が犯罪者から市民を守る時に「僕の思想信条から、犯罪者と言えど暴力を振るう事は出来ない」といって市民を見殺しにしている事と同じ事だ。
 排気ガスをまき散らすアメ車に乗り牛肉ステーキをほおばりながら「日本の捕鯨は残酷だから、反対だぁ」と叫んでいるグリーンピースの連中と同じだ。
 ましてやそれを、刑務官に対する人権侵害だとは片腹痛い。
 死刑を「殺人」と言うなら懲役刑は刑務官による「拉致監禁」になるのだろうか。
 刑務官に求められているのは「殺人」ではない。『刑』の執行だけだ。


【国際社会では死刑廃止が趨勢である】
 これに関しては、3でも書いたように冤罪の回避や、政争の具として利用されてきた事に対する反省から死刑廃止をとってきた国が多い事は否めない。
 しかし忘れては行けない事が、それらの国は「キリスト教」国家が多いと言った事だ。
 キリスト教の教義として、報復のための死刑は禁止されている。そうなると応報関係をもって死刑とする現在の法体系の元では、死刑は教義から外れる事になるだろう。
 彼等にとって命は神から与えられたものであり、人間の手で命を絶つ事は許されない事になる(と言いつつ、有史以来、神の名の下で残虐な事を行ってきたのも事実だが)。
 「死刑は民主主義の思想と相反す」と言いながらも、キリスト教の影響が無かったとは言えないだろう。
 この様にキリスト教的宗教観を持つ国家により死刑廃止が進められているので、その部分を語らずして「人権」=「死刑廃止」などと言った単純な発想だけで押しすすめることは、日本としてのアイデンティティを揺るがすものにもなる。
 太古の昔から死刑に対しては、少なくとも日本の方が欧米諸国よりは注意深く取り扱ってきている。
 単純に比較する事が出来ないはずなのに「ほら、あそこでもやっている。ここでもやっている。だからうちもやらなくちゃ」と言った理論がまかり通る方が不気味であろう。


【地方裁判所で無期、高等裁判所で無期となったのに、最高裁判所が死刑を出すのは社会の多数の意見を反映していない】
 まあこれは言うまでもないだろう。
 日本の法体系を全く理解していない者の戯れ言だ。
 かみ砕いて言うと、昨年行われたWBCで韓国の連中が「日本と3回試合をやって、2回勝っているのだから、韓国は日本より強い。だから優勝は韓国だ」と言っているのと同じことになる。
 なぜ地方→高等→最高裁判所と順位がついているのか分からない者(能力がないのかな?)の発言だ。
 裁判所は多数決で決めてるのではないのだよ。


【死刑因の反省や更生の機会を奪う事になる】
 宅間や小林が死刑になった時も「反省や謝罪の言葉が聞かれないうちに死刑になるなんて…」と言った声が聞こえた。
 しかし、死刑因の反省が被害者の回復をもたらすものではないし、ましてや死刑囚の更生など、被害者にとってはどんな意味があるのだろう。
 この理論を突き詰めていくと、「加害者が反省し更生したならば、どんな罪でも許される」と言う事になる。
 これでは社会秩序もなにも有ったものではなく、私的制裁の復活だけしかない。
 同じような犯罪を起こさせないための検証や分析は必要だ。だがそれは、死刑因の反省や更生と連動するものではない。
 被害者は、死刑囚が法に則り裁かれ、法に則り刑が執行されてこそ、初めて次に進む事が出来る。



以上のように検証してみると、死刑反対の立場をとっている個人や団体は『死刑反対』といった御題目を実行するだけが目的で、それだけの運動しか行っていない。
本来『死刑反対』を唱える前に『被害者の人権と被害者感情の救済』を唱えなければおかしい。
かの有名な安田弁護士も、死刑廃止のためなら有りとあらゆる手を使って事を成そうとしているが、サリン事件の犠牲者の救済には全く興味を示さなかった。
それは目的が「死刑反対・加害者だけの権利の主張」だけで、そこには被害者の悲痛な叫びは存在しない。

つまり死刑反対を唱えている連中は、単に「自己満足」若しくは「自己の利益」のためだけに声をあげているに等しい。
どんな卑怯な手を使っても死刑因を救う事で自己満足に浸っているだけで、被害者のために活動した話を聞いた事がない。

 少なくとも死刑反対論者の言い方では「被害者がどんな残忍な方法で殺されてもかまわないが、加害者が殺される事は残酷だから、どんな方法を持ってしても止めなくてはならない。」と言うように聞こえるのは僕だけだろうか。

幸い日本では、死刑制度存続という真っ当な感覚が多数を占めている。
半分カルト宗教かかった連中が「加害者の人権だけ」のために声を荒げているだけだ。
その人達は早く人間としてのまともな感覚を取り戻して、そのエネルギーを被害者救済のために使って貰いたい。
posted by 諷太郎 at 19:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年12月22日

飲酒運転で死亡ひき逃げ僧侶に懲役6年

大阪富田林で酒に酔って泥酔状態で車を運手し、方向指示器も出さず右折し、直進してきたバイクの青年を2人を死傷させ逃走。
その後も「車は盗まれた」と虚偽の申請をし、罪を逃れようとした僧侶に、懲役6年の判決が下った。

被害者の親族としては納得できるかぁ???

バイク側には全くの落ち度はない。
酒を飲んで車を運転すること自体、既に殺人の意思があると解釈しても良いのではないだろうか?
おまけに、事故後の偽装工作を考えると、計画的殺人事件と同様に扱っても良いのではなかろうか。

「日本の社会はお酒に甘いので、事故を起こした者の罪だけを重くすればいいと言ったモノではない」と高名な弁護士様が宣っている。
この場合の僧侶も、たかが3〜4年大人しくしていれば出所でき、その後は何処かの寺でも継いで、人の道について、いけしゃあしゃと説いていくのだろう。

読売新聞の同じ紙面に「女性に乱暴を働いた男に、懲役10年」の判決が出たとの記事があった。
どちらが犯罪として凶悪かと言った比較は出来ないが、同じ地方裁判所の裁判官の当たり外れによって、被害者の心情は大きく変わってくる。

富田林の事件(コレは事故ではない)の被害者の方は全く納得できていないだろう。
是非控訴し、まともな感覚を持つ裁判官の元での判決を求めるべきだ。

ついでに言うと、飲酒(薬物を含む)運転及び、ひき逃げ事件による死亡事故については、業務上過失致死ではなく、殺人事件として処理するべきだと思っている。

事故で亡くなられた被害者のご冥福をお祈りする。
posted by 諷太郎 at 11:43| Comment(0) | TrackBack(0) | 社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年12月08日

太平洋戦争開戦記念日

1941年12月8日、日本はハワイ真珠湾に攻撃を決行した。
終戦(敗戦)記念日と異なり、この日はなかなか話題に上がらない。
ほとんどのメディアでも大きく取り上げられることはなかった。

まあ、中国とはそれ以前から戦争状態に入っていたし、朝鮮半島は日本に併合されていた。
だから、この日はアメリカで式典が行われていただけのようだ。

さて、この開戦から日本人は何を学んだのだろう。
終戦記念日は様々な式典や集会、特集や会合が開かれている。
しかし開戦記念日こそ、何故開戦しなくてはならなくなったのかを再認識しなくてはならないのではなかろうか。

とりわけ外務省ではこの日を重大な日に位置づけ、教訓としなくてはならない。
ましてや宣戦布告が遅れた失態について、外務省はどれだけの反省をしてきたのだろう。
現在の外務省も、省益は守っても国益は守らないといった状態だから、如何ともしがたい。
日本が再度同じような道を辿らないが為にも、外務省は長期の展望を持ち日本国民の生命と財産を守るために、死力を尽くして欲しいものだ。
posted by 諷太郎 at 23:17| Comment(0) | TrackBack(0) | 社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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