2008年07月23日

八王子無差別殺傷事件と死刑反対論

22日に東京八王子で菅野昭一容疑者による、無差別殺人事件があった。
秋葉原での殺傷事件がの記憶も、まだ癒えない間に次々と起こる無差別殺人事件。
自分が被害者の身内であればと思うと、どうしょうもなく居たたまれない気持ちになる。


僕自身は、以前もこのブログで書いていたように『死刑存続論者』だ。
自分勝手な理論により、何ら非のない人間の命を絶っておいて、自己の人権だけを主張する輩には『人権』の言葉を使って欲しくないし、それを擁護する連中は「本来の人権の意味を学習しろ」と言っている。

ただ、最近連続で起こっている『無差別殺人事件』に関しては『死刑反対』を提案したいのだ。

大阪教育大学付属池田小学校の宅間の場合もそうであったように、自ら死刑を求めて殺人を起こしているような連中に死刑はすべきでないと思うようになったのだ。

人生に挫折して、自ら死を選んだ人間は年間3万人を越える時代になった。
これは当然戦後の社会体制の影響が大きいのだが(戦前の社会体制を容認するものではない)、この事はまた別途記載する事にしょう。
ただそれらの人達は、自らの命を絶って、他人を巻き込もうとしている訳ではない(最近流行った塩素系ガスには迷惑させられたが)。

しかし自らの命を絶つ事も出来なく、生きる事にも疲れ果てたからと言って、何ら関係のない人々を傷つけ殺す事により、死刑になろうとしているような輩を、単純に死刑にしてしまうようでは、同じ様な考えを持つ連中が増えても不思議でないだろう。

被害者としても、死刑を希望している奴に死刑を執行しても何ら意味を為さない感は否めない。

そこで新たなる刑罰を導入しよう。

その名もズバリ『修身独房刑』


つまりは、恩赦も仮釈放もない独房刑だ
死ぬまで独房で生きながらえて貰いましょう。
お部屋の方も畳1枚分有れば十分でしょう。
他の人間との交流も必要無いし、光も必要ないでしょ。
出来たら、足に鎖をつけたまま一生生きて貰いましょう。
安田弁護士様も、これならご満足でしょ。

しかし無性に腹が立つ。
『誰でも良かった』という言葉に対しては、これ以上ない怒りを感じる。
誰でも良かった…と言いながら、弱い女子供にしか刃を向けていないではないか
どうせ無差別殺人を起こしたいなら、中国マフィアにでも単身乗り込んでいき、そこで無差別殺人でも起こして見ろ。

と言う事で、その様な不遜な気持ちにさせられる事件だった。
とにかく…寝覚めの悪い事件である。
posted by 諷太郎 at 17:11| Comment(0) | TrackBack(0) | 事件・ニュース | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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